2018年。
LGBTと宗教の教義がテーマの映画。
前提知識全くなしで観ましたがなんとなく言わんとしていることはわかった気がします。
前提知識があったほうがすっと入ってくると思います。
キャストはルーカスヘッジズ、ニコール・キッドマン、ラッセル・クロウ。
それぞれウエンツ似だな、歳食っても相変わらずでかいな、歳食って太ったなと思いながら観ていました。
主人公はキリスト教徒に育てられた19歳のゲイの少年、父親はキリスト教の教会のおえらいさんという設定。
主人公はゲイであることを告白します。両親ははいはいそうですかというわけにはいかず受け入れられません。その結果、父親は先輩に相談し矯正プログラム(同性愛者を無理やり異性愛者にするような洗脳のようなもの)に息子を強制的に参加させます。
そんな無茶なと思いました。
やがて母親がプログラムの異常性に気づき主人公は解放されます。しかし他の参加者のひとりが自殺してしまいそれから4年経過。
4年後父親は教会のトップになり息子は施設での出来事を告白して本を出す予定もあるということになっています。
わかりあえない息子と父親は最後に本音を互いに打ち明けます。
言いたいことが言えない親子というのは私の家もそういう家だったため雰囲気はわかりますし、この映画はそういう空気感を醸し出せています。
静かなる親子喧嘩という感じ。
観て思ったのはやっぱり折れるべきは親だということです。しかし宗教がそれを阻む。
それは難しく解決できそうもないというのが正直思ったことです。最後に主人公は車の窓から手を出します。以前は両親から怒られてましたけど、それを言う相手もいません。自由になったということを表現したかったのかはわかりませんが、それにしても胸にモヤモヤが残る映画でした。
それは昨日見た「それでも夜は明ける」と同じで俺達の戦いはまだ続く的なENDだったからだと思います。
それでも夜は明けるでは主人公は解放されたものの奴隷制度自体は以前として残っていて解決されるのはもっと後のことです。この作品も解決した!というよりはまだまだ道半ばという終わり方をします。
重いテーマの作品にありがちでそれは致し方ないことだと思います(ヘビーだからこそかんたんに解決はできない)。しかしずっしり胃に来るような読後感(映画の場合はなんていうんでしょうね)の作品は観終わってから後を引くので個人的には大衆向けのライトでハッピーエンドな作品やその発想はなかった的などんでん返し作品が性に合ってるのかもしれません。