2011年。
一回途中から(30分見逃し)見たことがある作品なので概要は知ってる作品です。
不倫の末身ごもった子供をおろした女性が不倫相手の赤ちゃんを誘拐して自分の子供として育てる過程を描いた過去(4年間)と育てられた子供の20年後の姿を交互に描写していく構成になります。
被害者夫婦の4年間は描かれておりませんが、4年の時を経て娘が帰ってきてからの描写を見る限りすでに妻の精神は壊れされていたように思います。
更に追い打ちをかける事実として救出された娘は誘拐犯のことを本当の母親だと思っています。もうこの時点でどちらもかなり不幸です。
加害者(永作博美)もまた娘と思って育ててきた子供と引き離され、捕まってしまい不幸です。
現代編になりわかることですが、4歳から大学生になるまで娘もまた戻ってきてからの家庭生活を不幸と感じ、それは現在まで続いています。
登場人物がみんな不幸に満ちあふれています。
そして考えていくとその不幸の元凶は結局の所不倫したクズ夫に行き着く。
前半はそんなことを考えてました。
中盤からは過去編の描写の割合が多くなり、赤ちゃんから4歳になるまでを描きます。女しか居ない修道院的な所、そこから逃げ延びた先の島で本当の親子として暮らした幸せな日々。結末がわかっているのでその日々が幸せであればあるほどに切ない気分にさせてくれます。
そして別れの時が訪れ・・・・。
正直島での暮らしを見ている時、切なさを感じるとともにある種の気持ち悪さも同時に感じました。
それは永作演じる誘拐犯の母親に対するものです。
結局彼女は他人様の幸せを奪った誘拐犯なのです。そんな人間が無責任で身勝手に幸せになろうとしている、被害者の妻の気持ちも素知らぬ感じで。それを許すかどうかは置いておいて、嫌悪感を感じたのも事実です。
でも彼女が捕まるシーンで号泣しました。
ずっと先程の嫌悪感も感じていたのにも関わらず。
それは多分そこに愛があったからだと思います。
どんな経緯にせよ、どんな身勝手、無責任、犯罪から始まった歪んだ間違った愛情だとしても、互いが互いを必要とし愛している限りそこにあるのは本当の愛なのかもしれません。
だからお互いにつらい。
文章で書くとなんか胡散臭いですけど、そんな感じのことに気づいた時、誘拐犯がどうだのこうだのというのは吹っ飛んで号泣してました。
逆に永作のしたことは所詮、自己愛に過ぎない、孤独を埋めるために依存しただけ、決して美化できるものではない、娘の将来を思うならさっさと自首し親御さんのもとに返すべきであった、とバッサリ切り捨てるのもまた一つの解釈です。
それから写真暗室で最後に撮った写真が浮かび上がるところで再度号泣。
ただ最後に唐突に走り出して、物語をきれいにまとめたろう的なことを井上真央が口にする落ちでやや冷めました。
とは言え久々に映画を見て泣いてすっきりしました。
どちらかというとテーマ性よりか女優さんや子役の演技の方に強く魅力を感じました。